先日、三段リーグ戦が終わったばかりですが、いよいよ10月1日である今日、伊藤匠四段が誕生します!
これで藤井聡太二冠から生まれ月が3ヶ月遅い、伊藤匠四段が現役最年少棋士となります。
今回は、このおめでたい日に花を添えるべく、伊藤匠四段について調査してみましたので、ご紹介していきます。
伊藤匠四段のプロフィールは?
名前:伊藤 匠(いとう たくみ)
生年月日:2002年10月10日(四段昇段時、満17歳11か月で現役最年少)
出身地:東京都世田谷区
学歴:高校中退(将棋に集中するため1年で中退)
師匠:宮田利男八段(三軒茶屋将棋俱楽部)
家族構成:父・母・弟の4人家族
伊藤匠四段は、5歳の時にサンタさんからのクリスマスプレゼントで、将棋盤とコマのセットをもらい、父親から教わる形で将棋の道へ入っていきました。
お父さんも、この時は、まさかプロ棋士になるとは思ってもいなかったことでしょうね。
奨励会には2013年に入会し、そこからプロ棋士を目指すため、本格的に将棋を始めました。
将棋を始めたのは、お互い5歳と同じなのですが、この奨励会への入会は、同学年の藤井聡太二冠より1年遅い入会となっています。
小学生の頃から、将棋についての勉強には熱心で、多くの子ども達がハマるゲーム機で遊ぶことはなく、常に将棋と向き合う時間を過ごされています。
「DSとかはやらない。将棋のソフトならやるけど。」
2012年放送NHK番組「カラフル」内での伊藤匠コメント
8年前にNHK番組で取り上げられていたことを見ても、既に有名になるほど強くなっていたことが分かります。
伊藤匠四段は「藤井を最後に泣かせた男」
小学校低学年時代の2010年には、第9回全国小学生倉敷王将戦の低学年の部で準優勝し、早くも頭角を現し始めています。
伊藤匠四段は、2002年生まれですから、2010年だとまだ8歳で、小学2年生の頃になります。
伊藤匠四段が今回、9月半ばの時点で四段への昇段が決まったころから話題になっていますが、小学生時代に藤井聡太二冠と対戦し、勝利を収めています。
対戦したのは、第9回小学館学年誌杯争奪全国小学生将棋大会で、2012年1月に行わています。
この時の準決勝で、藤井聡太二冠と対戦しています。敗北した藤井聡太二冠は、号泣したらしいのですが、勝った伊藤匠四段は、ほとんど覚えてないらしいです。
負けた悔しさは残っても、勝った時にその時の相手がどうだったかは、なかなか覚えてませんよね…。
しかし、人前でも負けて悔し泣きできるくらいの強い思い入れがあったからこそ、藤井聡太二冠はその後、急成長を遂げていったのでしょう。
藤井聡太二冠はその時に泣いて以来、ほとんど涙をみせなくなったそうです。
そこで伊藤匠四段についた異名が「藤井を最後に泣かせた男」です。
伊藤匠四段と藤井聡太二冠との接点
近年でも、藤井聡太二冠との接点があります。
2018年2月に行われた朝日杯オープン戦準決勝、決勝の2つの対局で、伊藤匠四段は記録係を担当していました。
この時、藤井聡太二冠の準決勝の相手が羽生善治九段でした。まだ当時は竜王のタイトルを保持されていた頃で、それを破るという快挙を成し遂げたその瞬間を、目の前で見ていたのですね。
そして、決勝では広瀬章人八段を倒し、ついには優勝した藤井聡太二冠。同学年のライバルとして、多大な刺激を受けたのは間違いありません。
伊藤匠四段の父親は?
最後に、将棋の道へ入るきっかけを作った伊藤匠四段のお父さんについて。
プロ棋士の父親なら、プロ棋士…と考えがちですが、実は違います。
こちらの記事でも、少し紹介していますが、伊藤匠四段のお父さんは、37歳で弁護士になられています。
伊藤匠四段がまだ小学生の頃から、森内永世名人に挨拶に行かれるなど、横のつながりを広げて在りました。

こういった家族の支えがあってからこその、プロ棋士入りなのかもしれませんね。
まとめ
小学生の頃からNHKの番組で取り上げられるほど注目を浴びており、将棋界では既に有名人だったようです。
さらに藤井聡太二冠に勝利した過去があり、その時から「藤井を最後に泣かせた男」という異名がついていました。
まだプロ棋士になったばかりで、藤井聡太二冠との差は歴然としていますが、藤井聡太二冠がプロ棋士になった時には、格上相手に次々と勝利を収めていった経緯があります。
伊藤匠四段も、同学年のライバルとして闘志を燃やしているでしょうから、最年少棋士として注目を浴びる中でも、駆け上がっていく姿を見ることができるかもしれません。
まだ若い二人なだけに、今後の活躍が楽しみでなりません!
二人で切磋琢磨し、将棋界に新しい風を吹かせ、新たな時代の幕開けとなることでしょう!
今後も応援しています!!